青年向け漫画

青年向けマンガ:車雑誌、パチンコ雑誌

青年向けマンガ:車雑誌、パチンコ・パチスロ漫画雑誌に掲載されたマンガ

車雑誌

マンガで覚える基礎知識 われら4WDフリーク!

92年10月から94年7月号まで。雑誌「4WDFREAK」連載。一回5から6ページ。全22話。発行/徳間書店。

僕のはじめての連載マンガ。

自動車雑誌「4WDFREAK」に連載されたハウツーもの。連載は約2年間続いた。

僕はもう20年近く、スズキのジムニーというクルマに乗っています(いまのクルマは3台目のジムニーなのです)。当時は山や海をガンガン走り回り、競技にも出場していました。ある競技場で、編集長とお会いして、直談判(笑)。連載をいただいたのでした。

編集長が、「本当にドライビングテクニックを教えてもらって、本当のことを描け!」ということで、毎月のように取材につき合い、オフロードコース等に行き、自動車評論家の中田和夫さんや、バハの勇士、オフロードレーサーの関重作さんたちに、いろいろ教えていただきました。役得、役得。でも、本当にビックリしちゃうよ、関さんなんて、ジムニーでドリフトしちゃうんだもん。

この連載で、取材をして描くハウツー物の訓練をしたことが、「飛べ!ペーパーグライダー」に役立っていると思います。

鉄人チューナー列伝:第1話 おむすびに魅せられた男

99年7月26日創刊のクルマのチューニング雑誌、「カーマックス」連載。
有名なクルマのチューナーの人たちの、波乱万丈の 半生を、取材して、漫画化。

タイトルは「オムスビに魅せられた男」。
オムスビってのは、もちろんロータリーエンジンのこと。
ロータリーといえば、この人と言われているアマさん。あの「よろしくメカドック」や、Vシネマの「湾岸ミ ッドナイト」にも出演している有名人(笑)。

正直、御会いする前は、ちょっと怖いかな?と、ドキドキして いたんですが、素顔は、クルマが好きでしょうがない、愛すべき「ガキオヤジ」でした(笑)。

社長室の机の横に、作りかけの「なにか」と、ハンダごてがあって、「ああ、本当にこの人は、モノ作りが好 きなんだなあ」と嬉しくなりました。

鉄人チューナー列伝:第2話 「ゴッドと呼ばれた男」

99年7月26日創刊のクルマのチューニング雑誌、「カーマックス」連載。
有名なクルマのチューナーの人たちの、波乱万丈の 半生を、取材して、漫画化。

ゴッドと呼ばれた男2回目は、HKS関西の向井さん、「ゴッドと呼ばれた男」。

アマさんとは対照的な、理詰めの人。クルマのドクターっていう感 じ。
奈良まで取材に伺いました。 クルマをいじっているとは思えない、整理整頓された、とても綺麗 な工場にびっくり。こんなところが、僕の家の近くにあれば、安心 して愛車を預けられるのになあと思いました。

そうそう、取材の帰りに、大阪によって、タコ焼きを食べてきま した。

鉄人チューナー列伝:第3話 「名チューナーは元ボクサー!」

99年7月26日創刊のクルマのチューニング雑誌、「カーマックス」連載。
有名なクルマのチューナーの人たちの、波乱万丈の 半生を、取材して、漫画化。

名チューナーは元ボクサー!

連載3回目は、TBO代表菊池敏明さん。  「名チューナーは元ボクサー!」

タイトルのとうり、菊地さんは、元ボクサー。 出だしはまるで、ボクシング漫画みたいになり ました(笑)。

漫画には描きませんでしたが、面白いエピソー ドをひとつ。
菊地さん、子供の頃「河童」を見 たんだそうです!!「誰も信じてくれないけ ど、本当なんだ!」っておっしゃっていました (笑)。 福島の山の中の池で見たんだそうですが、その ころお父さんと、炭焼きにいき、そこで見たと いわれると、なんだかリアリティがあります。
でも、その河童、池のまん中で釣りをしていた っていうから、笑っちゃいますねえ。
はじめの「ネーム」では、そのエピソードも描 いたんですが、どうしてもギャグになっちゃう んで、削りました。でも僕、本当は、水木しげ る先生の大ファンなんで、描きたかったなあ 「河童」・・・・。

この取材は、僕一人で伺ったんですが、菊地さ んに美味しい北海道料理を御馳走になっちゃい ました。ホント、美味しかったア。

パチンコ漫画雑誌

パンダちゃんだよーん

91年9月。92年2月。雑誌「パチンカーワールド」掲載。8ページ。6ページ。発行/少年出版社。発売/白夜書房

パンダちゃんだよーんパチンコマンガ3、4作目。
今度の注文は、パロディ。

「ドラえモンを、パチンコ漫画で。しかも、誰が見てもパクリと解るように。秘密道具で、パチンコに勝つ。タイトルは「パンダちゃんだよーん」で。」

メチャクチャな発注です(泣)。

もっと丸い絵で描けばよかったなと、反省していますが・・・。内容がめちゃくちゃで、それどころじゃないか。

でも、なぜか、仲間内ではウケてたなあ?

1991年9月号に第1話が掲載。
1992年2月号、忘れた頃に第2話が掲載。
ギャグは難しい。

コリントゲーム

91年8月。雑誌「パチンカーワールド」掲載。20ページ。発行/少年出版社。発売/白夜書房

Corinth game

パチンコマンガ2作目。
発売が夏ということで、出版者の要望は、「パチンコネタで、オカルトスリラー物を描けないか?」というものでした(笑)。

当時、そんなものは、誰も描いたことのなかったのです。

まっ先に浮かんだのは、777と揃うと大当たりするかわりに、666と当たったら?という「オーメン」ネタでした(笑)。誰でも考えるよなア、そんなの・・・と想いながら。で、とにかく、オーメンのビデオをレンタルし、あらためて観てみたのです。
そしたら、なんと・・・冒頭のナレーションで、例の「獣の数字」の黙示録が「コリント人への手紙」として紹介されるではありませんか!!

御存じのように、パチンコのルーツは、コリントゲームと呼ばれる遊具です。
あまりの偶然に背筋が寒くなりました。「使える!」と。

でも、「パチンコの漫画雑誌に、こんな不吉なものを載せるんじゃねエ!」と、読者アンケートは最低でした(笑)。編集さんからは、「無視されるより、嫌われるほうがイイよ。」と言われましたが・・・・。

スロばかたち

97年6月。雑誌「ビックボーナス」掲載。原作/らいがまこと。20ページ。発行/笠倉出版社。

スロばかたちパチスロの漫画。

白夜書房の忘年会で知り合った、原作者のらいがまことさんとは、もう何年も「いつか組んでやりたいね。」と話していました。

らいがさんからお声をかけていただき、この掲載が決まったのです。

っていっても、例によって僕はパチスロをやったことがなかった笑)。

しかも、実は、原作付きって初体験。

他人の頭にあるイメージを、形にするって、思ったより難しい作業です。正直言って、このときは遠慮もありました。

どうしても原作のラストが納得出来ず、らいがさんと電話で話して、妥協案を出しました。でも、結局、それが悪かったな。妥協は妥協。中途半端なものになってしまい、らいがさんにも、申し訳なく思っています。

リーチ!!

97年9月。雑誌「週刊漫画ゴラク増刊/漫画パチンコ大連勝」掲載。
原作/中田一臣(らいがまこと)。20ページ。発行/日本文芸社。

リーチ!!みんななかなか勝てないんで、パチンコにも、とうとうオカルトとか、非科学的なことが流行りだしちゃったころの漫画。谷村ひとしさんが、流行したころ。

原作者の中田一臣氏は、らいがまことさんのもう一つのペンネーム。

 

NEXT

2000年1月、3月。雑誌「コミック&攻略パチスロ大爆勝」掲載。原作/中田一臣(らいがまこと)。
第1回「ラストチャンス」20ページ。第2回「きっかけ」20ページ。発行/一水社。

中田さんと組んで、連載をやろうと意気込んだ作品。

それまでの反省から、今度は「ケンカしよう。」と中田さんと話し合った。つまり、お互い、遠慮せず、言いたいことをぶつけていこうということで。

調子に乗って、僕も、原作を大分変えてしまった。第一話なんて、攻略と、大筋以外は、ほとんど僕のオリジナルになってしまった。

原作では、パチスロプロを目指す青年が主人公だった。

僕は「『次』になにかになりたい。でも、その『次』がなんなのか、自分でもわからなくてイライラしている若い世代。そういう蛹の時代に、何をしていいかわからず、とりあえずパチスロを打っている」という主人公にしてしまった。だからタイトルも『NEXT』にしたのだが・・・・。

そんな漫画が、「パチスロ専門誌」でウケルはずもなく、2回で打ち切り。そりゃアそうだ。読者にケンカ売っちゃったんだからね。